作りばなし 2




ヒマそうだね。どれ。おじいちゃんがお話をしてあげようか。
…じゃあ今日は九官鳥という、人の言葉を覚える鳥の話をしよう。今でこそ九官鳥は、人の言葉を覚えて話すようになったけれど、昔は違った。普通の鳥と全く同じだったのさ。
とある、小さな出来事が起こるまでは…ね。






とある国の小さな小さな街。その街からずいぶん離れた一軒家に、老婆が住んでいました。
老婆には子供が二人いました。優しい娘のシモーヌと、元気で大きな身体の息子のヨハン。
シモーヌは都会の靴屋と結婚して家を離れ、ヨハンは戦争に行ったきり帰っては来ませんでした。
老婆はその一軒家で、一人で慎ましく暮らしていました。
とある春の暖かい日です。三年ぶりに娘のシモーヌが老婆の家に訪れました。

「ただいま。母さん」

老婆は娘を睨みつけながら、言います。
「…ふん。三年も母親を待たせて帰ってこないなんて。あたしゃこんな薄情な娘を育てた覚えはないよ。帰っとくれ」

老婆は昔はとても優しい女性でした。ですが、ヨハンが戦争にいったきり、帰ってこないことを知ってから、どんどん変わっていってしまいました。

「そう言わないでよ。なかなか靴の売れ行きが悪くて…こっちも大変だったんだから」

「そんな事はあたしの知ったこっちゃないね。大体おまえの持ってるその包みはなにさ?ウチには靴は余ってるから要らないよ」

「あら。気づいた?へへ。母さんにいいもの持ってきたんだ」

そう言い、シモーヌは四角い包みの布を取りました。四角いものの正体は小さな籠で、中には小さな黒い鳥が入れてありました。黒い鳥はせわしなく首をキョロキョロと動かしています。

「なんだいそりゃ。カラスなんて籠に入れてどうするつもりだい?」

「違うわよ母さん。この鳥は九官鳥という鳥なのよ。ほら見て!頭の所のぴょこんと立った羽。いつも寝癖つけてたヨハン兄さんにそっくりでしょ!」
嬉しそうに笑いながら話す娘に、老婆は大きな声で言いました。

「こんなカラスみたいな黒くて貧相な鳥捕まえて『ヨハンと似てる?』冗談もいい加減におしッ!とっととそんな鳥持って帰りな!」

老婆の形相にシモーヌはとても悲しそうな顔で
「…ごめんね…母さん…今日はこれで帰るわ…でも、この鳥は置いて行くね。母さん一人じゃ…寂しいと思うから。本当は私がそばにいられたらいいのだけれど…」

そう言い、シモーヌは都会へと帰って行きました。

おばあさんの家に残された、黒い九官鳥。
籠はシモーヌがいた玄関にずっと置いてありました。夜になり…朝が来て、老婆が山菜を取りに玄関に来た時、
老婆はとあることに気づきました。

「お前は鳥のくせに鳴く事も知らないのかい?籠の中で飛ぶことも出来ずに。ほんと出来そこないだね」

そう。九官鳥はシモーヌが来てから、一度も鳴きませんでした。籠の中でじっと動かずに、まるで剥製のようでした。
老婆はそのまま山菜を取りに山へ出かけ、夕日があたりを茜色に染める頃、帰って来ました。
九官鳥は相変わらず鳴きません。
…そして、数日が過ぎました。




その日、老婆はお腹をこわしてパンを少し余してしまいました。明日食べようとパンを戸棚に入れようとしたその時、小さな物音が玄関から聞こえてきました。老婆は玄関に行きましたが、特に変わったところはありません。老婆は首をかしげ、居間に戻るため振り向こうとしたその時、九官鳥の籠が見えました。

…九官鳥が、籠の下に倒れています。それを見て老婆は言いました。



「お前がどうなろうとあたしの知ったこっちゃないよ。暗くて狭くて飛べないその場所で、死んでしまえばいいのさ」



黒い鳥は首をこくりと頷くように小さく振りました。寝癖のような羽がふわりと揺れました。



老婆は黒い鳥を見つめてしばらく黙り…………手に持っていたパンを小さくちぎって籠の中に放りこみ、花瓶の水を小皿に少しだけ入れ、鳥のそばにそっと置きました。

「カン違いするんじゃないよ。「死にたい」なんて言ってる奴なんか許せるもんか。ヨハンは生きたくても生きられなかったんだ」

そう言い、老婆はランプの光を消して床につきました。

…次の朝。老婆は今日も山菜を取りに玄関へ向かいました。
籠の近くから「バサリ」と言う音が鳴ったので、籠を見やると、老婆に向けて九官鳥が羽を振っています。まだ元気がないようで、ゆっくりとした動きでした。懸命に動いているようでした。

「なんだいそれは。お礼のつもりかい?カン違いするなと言ったろう?あたしゃお前が大嫌いなんだ」

そう言い、老婆は山に出かけました。そのしかめっ面が、今日は少しだけほころんでいるように見えました。
そして、少し暗くなってから老婆は家に戻り、玄関にいる黒い鳥の籠に向けて、小さな虫の死骸とパンくず。水をやりながら、こう言います。

「あたしゃお前が大嫌いだ。そんなお前にはランプの下に落ちて死んだチンケな虫がお似合いさ。パンくずはゴミだし、
水は花瓶に入ってたやつでもう飲めないから、仕方なくお前にやってるんだ。わかってるね」




九官鳥はばさりと羽を振りました。ピンと立ったねぐせも揺れました。




春が終わり、夏が来ました。
九官鳥は元気になり、今では元気よく羽を振ります。老婆は「お前なんか大嫌いだ」と言いながら毎日のようにパンくずと水をやりました。相変わらずしかめっ面でした。
この九官鳥は鳴く事が出来ないようです。今まで一度も鳴きません。「鳥のくせに鳴けないなんて情けない。あたしの息子のヨハンを少しは見習いな!」と言い、九官鳥によく昔話を聞かせました。お話が終わると、拍手をするように九官鳥は羽を振ります。老婆はその度に「羽振ってるヒマあったら鳴いたらどうだい」と言いますが、九官鳥が鳴く事はありませんでした。そんな、ある日。

玄関からコンコンとノックの音。老婆の家に客人が来ることは大変珍しく、老婆は玄関へと向かいました。
「誰だい?」
そう言い、老婆はドアを開けました…そこには、シモーヌが立っていました。

「母さん。元気だった?」

「何だい。懲りもせずにまた来たのかい?帰りな。お前を家に泊めるつもりはないよ」

「相変わらずね。九官鳥は…元気そうじゃない。やっぱり気に入ってくれたのね」

「そんなわけないじゃないか!おまえに突き返す為に今まで嫌々面倒見てきたんだ。さあ、とっとと持って帰りな」

「いいじゃない。このまま母さんが面倒見てよ。この子もそのほうがいいわよね。ほんと…ヨハン兄さんにそっくりね。
そうだ!」
シモーヌは嬉しそうに手を叩きます。

「…何だい」

「母さんのことだから、まだこの子に名前なんてつけてないんでしょ?「ヨハン」って名前はどうかしら」

「……シモーヌ!!ヨハンはね!もう死んだんだよ!!あたしだってそれくらいわかってる!バカにするのもいい加減にしろッッ!!」
老婆は大きく腕を振り、九官鳥が入った籠を叩き落としました。その顔を大きく歪め、肩を震わせながら。

「…母さん」

…その時、黒い翼が二人の間を駆け抜けました。落ちた衝撃で開いた籠の入り口から、九官鳥は外へと飛び立っていきました。

「九官鳥が…」

「ふん。これでいいのさ。ヨハンも、あいつも、もう帰ってこない。最初からわかっていたんだ。最初から」





老婆はそう言い、ドアを閉めました。シモーヌがいくらノックをしても、ドアは開きませんでした。





その夜。老婆はいつも通りに、パンを小さくちぎり、山菜を取る時に集めた虫をテーブルに置き、井戸水を小さな皿に入れて玄関に向かいました。
黒い鳥は、もういません。老婆は小さく呟きます。



……おまえなんか…大嫌いだよ……



ばさり。

小さな音が聞こえました。

「いるのかい!!出ておいでッッ!!どこにいるんだい!!」
老婆は叫びます。ばさり。今度はさっきよりも小さな音。

「どこだい!待ちな!!」

外に出てあたりを探します。近くに黒い鳥はいません。
老婆は山の方へ歩いて行きました。黒い鳥が好きな小さな虫がたくさんいるはずだから。
老婆はしばらく山の中を探しました。喉が痛くても大声で呼び続けます。足が痛くても歩き続けます。
黒い鳥は、見つかりません。
あたりはもうすっかり真っ暗です。老婆はため息と共に、言いました。

「…何をやってるんだろうね…あたしは」

そう言いつつも、足を踏み出したその瞬間。


「……ッッ!!」


足元の地面が崩れ、バランスを失った老婆は、すぐそばの崖から転げ落ちてしまいました。
体中に走る痛みと共に、老婆は意識を失いました。



















……ん……ッ

しばらくして、老婆の意識が戻りました。ですが、何も見えません。立とうとして力を入れましたが、まるで他人の身体のように、指先すら動いてはくれませんでした。真っ暗な闇の中、老婆は思います。





……あたしは…死ぬんだね……





…雨が降り始めました。冷たい雨粒が老婆の身体に降り注ぎます。

…ヨハン…シモーヌ…思えばあたしはあなたたちに何も出来なかった…あたしは、
ヨハンが戦争に行く時に、身体を張ってでも、はいつくばってでも、止めなきゃいけなかった。
つまらない意地を張って、あんなに優しいシモーヌに冷たい言葉ばかりかけるなんて、酷い母親だった。
母親らしいこと…あたしは、何にも出来なかったよ。
みんな、みんなあたしが悪いんだね……これが……


「お前がどうなろうと知ったこっちゃないよ。暗くて狭くて飛べないその場所で、死んでしまえばいいのさ」


脳裏に浮かぶのは、かつてあの鳥に向けた言葉。

これがあたしの…待つだけで何もできなかったあたしの…似合いの最期だよ。
…お前は飛べたのかい?大きくて自由なあの空を…鳴けなくったって構わないさ。
お前には…どこまでも行けるその翼と、優しい心があるんだから。
あたしみたいな人の所に…帰ってくる必要はないんだ。

私は此処で、この暗い闇の中で、お前たちをいつまでも愛し続けるから。
それだけは、許しておくれ。





どんどん何も考えられなくなってゆく。体は冷たくなってゆく。





ヨハン…最後…一度だけ……こえ……聞きたかった………な……






















「…オカアサン」

















……え………………………





























「…お母さん。ありがとう」

































…よか………った………おか………え…り……………ヨハン……………

































ばさり。



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