作りばなし 1



これから僕が小さかった時の話をしよう。
随分もったいぶっているけど、別に派手なドラマチックな展開はないんだ。残念かな?
でも、僕にとってはとても大事な出来事なんだよ。聞いてくれるキミがもしヒマなら、付き合ってほしい。
ささやかで、少し変わった、ただそれだけのお話。





…僕が七歳の頃だ。家には母さんと父さん。そして、おじいちゃんが住んでいた。
僕はおじいちゃんの事が好きだった。別に欲しい物を買ってくれたわけでもなければ、特別優しかったわけでもない。
ただ、不意に、とても不思議で面白い話を聞かせてくれるのだ。

永久に生き続ける、赤く燃える羽を持つ綺麗な鳥の話。
とても遠い場所にある、深い森の奥に住むという、小さな妖精の話。
青く光る洞窟の奥で、じっと宝物を守っている、寂しがりやの竜の話。

そして話が終わると、いつもかけている銀色のメガネを触りながら、しわくちゃの顔で小さく笑い
「でもね、これは全部作り話なんだよ」

と言って僕の頭を撫でるのだ。
おじいちゃんが不思議な話をするときは決まって僕と二人きりの時だけで、母さんや父さんがいる時に
「ねぇおじいちゃん。面白い話聞かせてよ」
と言うと、
「また今度にしよう。面白いことは、後にとっておいた方が良いだろう?」
と、毎回同じセリフを言い、決して話をしてくれることはないのだ。
話をしてくれるタイミングはいつも唐突で、僕はいつくるかわからないその話を、とても楽しみにしていたのだった。
ある日、勉強をしていた僕の部屋におじいちゃんが入ってきて、言った。



「ヒマそうだね。どれ。おじいちゃんがお話を聞かせてあげようか」



この言葉を合図に、おじいちゃんのお話は始まる。
「ヒマそうだね」とは言うけれど、たいていの場合僕が何かしらやっている時にお話は始まるのだ。
ゲームの途中だったり、宿題をやっている時だったり、お構いなしだ。けれど、そんなことは全く気にならない。
おじいちゃんのお話が、僕は大好きなのだから。
書きかけのノートを閉じ、僕はおじいちゃんの話に耳を傾けた。






「キミは、吸血鬼という言葉を聴いたことがあるかな?どうだい」

「知ってるよ。にんにくが弱点のお化けでしょ。お化け屋敷で見たことある。そんでもって、血を吸うんだ」

「正解。キミは物知りだね。そう。太陽の光と十字架と、今キミが言ったにんにくが弱点と言われているね。でも、知っているかい?本当の吸血鬼には、弱点なんてないんだ。ほとんど人間と同じなのさ」

「…でも、お化けなんでしょ。血を吸うなんて、やっぱ怖いや」

「そうだね。人間と似てはいても、やはり違った生き物なんだ。吸血鬼は、血を吸わないと生きてはゆけない。特に、女の人や子供の血が大好きだ。ほとんどの吸血鬼はハンサムで、とても優しい顔をしているから、いともあっさりと血を吸うことができるのさ。
でも、毎日吸わなくても大丈夫なんだよ。一年に一度だけ血を吸えば、生きてはゆける。
けれど吸血鬼は血が大好きだから、このルールを守っているものはほとんどいないみたいだ」

「そうなんだ。でも、ちゃんとルールを守っている吸血鬼もいるんでしょ?すごいな。僕は目の前にハンバーグを出されたら、我慢できないよ。」

「そうだね。うーん、じゃあ。キミには、大事な友達はいるかい」

「いるよ。同じクラスのアヤちゃん。よく遊ぶんだ」

「うん。それじゃ、目を閉じてごらん……そう。
今からキミは吸血鬼だ。
目の前には大事な友達のアヤちゃんがいる。
そういえば、朝ごはんを食べてなかった。キミはとてもお腹がすいてきた。
でも、キミの周りには食べられそうなものは一つもない。
アヤちゃんしかいない。どうしよう?」

「…夜ご飯まで我慢するよ…お腹が減ってても、アヤちゃんの血を吸うなんて、いやだ…」

「キミはとても優しい子だね。おじいちゃんは誇りに思うよ」

そう言って、おじいちゃんは僕の頭をしわくちゃのごわごわした手で撫でた。とても嬉しそうな顔をしていた。
僕も嬉しくて、二人して笑う。雲間から光が射し、おじいちゃんの銀色メガネに反射してキラリと光った。

「ルールを守っている吸血鬼は、キミがアヤちゃんのことを大事に思うように、人間のことが好きだった。
たとえお腹が減っていても、好きな人の血を吸うなんて、それこそ『我慢』できなかったのさ。
…それでも、吸血鬼は『我慢』できないくらいに血を吸いたくなる時がある。どんな時だと思う?」

「…うーん…わかんないや。教えてよ」

「それはね。吸血鬼の目の前で、大事な人が「大きな怪我をして血を見せた」時と「重い病気になって弱っている姿を見た」時なんだ。これを見ると、吸血鬼は血を吸いたくて吸いたくてたまらなくなる。『我慢』できなくなるんだ。吸血鬼は迷わずその人の首筋にガブリと噛み付いて、血を吸ってしまうんだよ。
……そして……」
僕はゴクリと唾を飲む。おじいちゃんは一呼吸置いて、言った。






「…知っていたかな?おじいちゃんは吸血鬼なんだよ」






僕はビクッと身体を震わせる。落ち着くんだ、僕。これは作り話なのだから。おじいちゃんは小さく笑みを浮かべたまま、話を続けた。

「心配しなくてもいいよ。おじいちゃんはキミの事が大好きだから。血を吸ったりなんかしない。ただキミは、決して「大きな怪我」をしないように、危ないことはしないようにしなければならないし、「重い病気」になんかかからないように丈夫な身体をつくらなきゃ。好き嫌いせずにたくさん食べて、家でゲームばかりしないで外に出てたくさん遊ばなきゃね。たった、それだけのことさ。簡単だろう?」

「わかった。気をつけるよ」

「ありがとう。おじいちゃんは、キミが元気だととても嬉しい。これは二人だけの秘密だよ。約束だ。これでお話はおしまい……でもね」

「わかってるよ。『これは作り話なんだ』だろう?」

「残念。はずれ。これは……いつもと違って作り話じゃないんだ

「え……嘘でしょ?作り話でしょ!」
こんなこと、初めてだ。いつも作り話だったのに。

おじいちゃんは銀色メガネの縁を触り、小さく笑って言った。

「約束だよ。絶対だ」

そう言い……おじいちゃんの姿が、しわくちゃの顔が、銀色メガネが、穏やかな微笑が、徐々に透明になってゆく。そして、消えた。

「おじいちゃん!どこ行ったの?おじいちゃん!!」

僕は慌てて自分の部屋を出て、家中の部屋を探しまわった。リビング、台所、父さんの書斎、物置場……そして、和室で、血を吐いて倒れているおじいちゃんを見つけた。息も僅かな動きも見られず、ただそこに倒れていた。
僕はただ泣き叫ぶしかなかった。それしかできなかった。そして……



僕は今でもおじいちゃんの約束を守っている。どんなことがあっても破ったりしない。絶対だ。



これで僕の話はおしまい。おじいちゃんは最後に僕に伝えたかったんだろう。「愛している」と。
ところで……



























倒れているおじいちゃんを見て、僕は泣き叫んだ。そして、僕はその後どうしたと思う?
目の前には、血を吐いて倒れたおじいちゃん。

おじいちゃんが吸血鬼なら…僕は……?




























……血が…欲しい……『我慢』できない……。
僕は……おじいちゃんの横にひざまつき……その首筋に………






























「でもね。これは作り話なんだよ」
そう言い、私は、目の前の愛すべき孫の頭を撫でた。






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